心を込めるってどうやるの(実践編)
レッスン中にたまに話題になる『心のこもったお菓子』について、
込めるつもりがなくても、込もってしまうという話は前回のブログで書きました。
では、相手の喜ぶ顔を思い浮かべて大好きって思いながら作ればいいのね、ということでもないのです。
だってさ、生地を作っている間中、食べてくれる人を思い浮かべているってちょっと難しくない?
「食べてくれた人が笑顔になりますように」という気持ちは最初に思うことです。
最初に思えばいい。
********************
誰かにおいしいって言ってもらえたとき、私は何を思いながら作ったかな。
どんな心の状態だったかな。
意外と心は静かになっていて、特に何かを思い浮かべていることはありません。
落ち込んでもいないし、浮かれすぎてもいない、そんな状態です。
むしろ、一つ一つの作業に集中しています。
粉をふるうときは、粉がサラサラで空気をたくさん含んでいるのをイメージして
バターと卵を混ぜるときは、いつも滑らかな状態をキープして
果物を使うときは果物のいいとろころを活かせるように
こうしたら食感が変わるかな、これ入れたら香りがどうなるかな、
やってみて思い通りになるときもあるし ならないときもあるけれど
作業から心を外していません。
********************
誰かの料理やお菓子を食べて「おいしいな」と思うことは多いですよね。
聞いてみました。
作っている最中に何を考えていますか?
何を思って作っていますか?
友達「えー、何も考えてなかったよ。」
お母さん「特に何も。」
姪「集中してたから何も考えてなーい。」
娘「無(む)って感じ、集中してるから。」
やっぱりそうだよね。
今まで言葉で説明できなかったけど
なんか、掴んだかもしれない💡
その作業から心を外していないこと。
その一瞬に集中していること。
それが結果、心のこもったお菓子やお料理になるってことです。
だって心はずっと作ることに向き合っているんだから。
心を込めるってそういうこと。
込める「心」は思いや、愛情って訳じゃない。
今その時の精一杯ってことが「真心」なのです。
だからその日はプンプン怒ってしまうことがあっても
ニヤニヤが止まらないことがあっても
作り始めたら集中すればいいだけ。
気持ちが何かに囚われているなら、手を洗って、呼吸を整えてから始めればいいだけ。
0コメント