自由な時間

日常会話にもよく出てきますね。

「自由な時間がほしい」


これは 他のもの(自分の外側)から制約を受けている という気持ちから出る言葉です。


私が自由な時間がほしいと強く思っていたのは、子供たちが小さかったころ。


ご飯を食べさせ、トイレのお世話をして、お昼寝させて、散歩して、お風呂に入れて、絵本読んで、寝かしつけて…


自分のことは後回し、早食い競争に出られるんじゃないかってくらい早食いになったし、お風呂も烏の行水…

助けてくれる人はいたけれど、それでもいっぱいいっぱいだった。


「早く大人になって。」

「早く自分のことは自分でできるようになって。」

子供たちの顔を見ながらそう思っていました。


それなのに、夫からは母親になってもきれいにしていてと言われ(悪気はないようですが)

母にも口紅💄くらい塗ればと言われ(これも悪気なし)

時間的にも精神的にも体力的にもヘトヘトでした。


そしてイライラしてたな。

相手に悪気がなくても、

むしろ手を差し伸ばされていても、

プレッシャーにしかならなかった。


あれしなきゃ、こうしてあげないと、頑張らなきゃ。ちゃんとしなきゃ…


もっと落ち着いて

周りをよく見ればよかった。


小さくてプニプニでかわいい手と手をつないで歩けるのは、本当に一瞬です。

ゆっくり呼吸して、子供たちが目を輝かして見ているものを一緒に見ればよかった。


当たり前だけど、人は一人では生きて行けません。

他の人との関わりの中で、関係を育み、助け助けられて生活しています。

人だけでなく周りを取り囲む全ての自然

大地や空や一輪の花にさえ助けられながらです。


だから子供のせいにして、夫のせいにして、家族のせいにして、イライラしているのはつらかった。

愛しているのに愛していると伝えられないことが悲しかった。

(もちろん楽しくしあわせな時間もたくさんあったけど、イライラがものすごかったっていう話)


それは、自由な時間がないことの原因を自分の外側に探していたから。

その苦しさを手放せない状態が窮屈で不自由だった。


私にとって自由な時間とは

目の前のことに精一杯でいられる時間。


お菓子作って

うまくいかなくて

あーでもないこーでもないって泣きそうになって

できたーってなって

苦手な掃除とか頑張って

お皿とかチャチャって片付けたりしてさ


学校の話を聞いたり

私の悩みを話したり

わがままに付き合ったり

悲しいって泣いたり

困ってるときは助けてって言えたり

夢を持ったり

感謝したり

うれしいことを分けあったり


そういう普通の「今」に身を置いているときが自由な時間。

私の時間。


同じ「時間」なのに

今をちゃんと生きていると それは自分の時間になる。

今じゃないところに意識があると やりたいことができない時間になる。


不自由な時間を増やしているのは、自分です。

自分の心を自由にできるのも自分。


今でも時間がもっとあればいいのにと思うことはあるけれど

自由な時間がほしいとは思わなくなりました。

お菓子教室 K's Kitchen

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心をこめること。 季節を感じること。 暮らしにそっと寄りそう お菓子をつくりたい。

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